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安田隆夫の生い立ちと経歴!ドンキ開業までの波乱万丈な人生とは!?

安田隆夫

激安の殿堂「ドン・キホーテ」の創業者、安田隆夫さん。

息子を取締役に就任させるなど、改めて注目されています。

そんな安田隆夫さんはどのような人生を歩んでこられたのでしょうか?

早速調べてみました。

目次

1949年に岐阜県大垣市で生まれた安田隆夫さん。

父親は

工業高校の技術科の教師

で、テレビはNHK以外見ないようにと言われるような堅い家庭だったそうです。

父親から就職先に地方公務員を勧めれていたそうですが、

安田隆夫さんは

「親父みたいな人生は面白くない」

と思っていたそうです。

実家から一刻も早く出ていきたいという気持ちで、父親と交渉し、

難関大学合格を条件に上京を認められた

そうです。

そのため、高校2年生の3学期から、それまで全くしてこなかった勉強に取り組み始めたそうです。

猛勉強の末、

慶應義塾大学 法学部

に合格し、無事に上京を果たしたそうです。

偏差値は67.5

しかし、大学入学後に周囲との育ちの違いを目の当たりにしたようで、

強烈な嫉妬心と劣等感、悔しさと無力感に苛まれた

そうで、

次第に大学に行かなくなり、1年生で留年が確定

したようです。

激怒した父親からは仕送りをストップされてしまいます。

ですが親に頭を下げたくない思いから

肉体労働と麻雀で学費と生活費を稼いで5年で卒業

されたそうです。

 記者会見するPPIHの安田隆夫創業会長兼最高顧問=23日、東京都千代田区

大学卒業後は

小さな不動産会社に就職

されました。

あえて小さな不動産会社に就職した理由は、

「小さな会社なら早くのし上がることができること」
「不動産業ならノウハウを吸収していずれ独立のチャンスも掴めると感じたこと」

だそうです。

しかし、

入社10ヶ月で当時のオイルショックの煽りを受けて会社が倒産

します。

ここから働かずに大学時代に鍛えた麻雀で食い繋ぐ時期が続いたようです。

しかしここで、行くあてもなく夜の繁華街をさまよい歩いたことで、

夜の街を1人で漂流する若者たちの気持ちがわかるようになった

そうで、さらにプロ雀士との真剣勝負の中で、

「運気の流れ」や「勝負の勘どころ」を見抜く力を身につけた

そうです。

これが今に繋がっているようですね。

しかしこのままではダメだと、

麻雀で生計を立て、800万円の開業資金を貯めた

そうです。

1978年29歳で、東京杉並区西荻窪に18坪の

ディスカウントショップ「泥棒市場」を開業

されました。

何を始めたらいいかわからず消去法で残ったのが「物を売ること」だったそうです。

1人で経営していたため、深夜に商品の仕分けなどをしていたところ
通行人に「店は営業してるのか?」と尋ねられたそうです。

それがきっかけで深夜営業を始め、これが大成功

されました。

それからディスカウントストアの問屋業に参入するため、

店舗は開業後5年ほどで他人に売却

し、

1983年に現金卸売業の「株式会社リーダー」を設立

されます。

設立数年後に年商約50億円を達成

されています。

大成功をおさめたように感じますが、安田隆夫さんは

満足しなかった

そうなんです。

そして、「泥棒市場」で培った安売りのノウハウと「リーダー」で培った資金力と商品力を掛け合わせて

再び小売業で勝負をかけることを決心

されたそうです。

1989年3月、東京都府中市に

「ドン・キホーテ」1号店を開店

されました。

現在は世界も含めて

グループ総店舗数744店

となるそうです。

今現在のドン・キホーテの人気っぷりは凄まじいですよね!

  • 名前:安田隆夫(やすだたかお)
  • 生年月日:1949年5月7日
  • 年齢:75歳(2024年8月現在)
  • 出身:岐阜県大垣市
  • 職業:実業家
  • 肩書:ドン・キホーテの創業者、パンパシフィックインターナショナルホールディングス非常勤取締役

格闘技への思いや知識が深いことでも知られ、PRIDEや女子レスリングや内藤大助さんなどのスポンサーを引き受け、

SRCを主催する「ワールドビクトリーロード」の副会長も務めたことがあるようです。

ドン・キホーテの創業者、安田隆夫さんの生い立ちに迫りました。

成功者にはそれだけの人生がありますね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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